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君は「ガンプラは自由だ」を不自由にしていないか?

四方山話
この記事は約5分で読めます。

この言葉を作ったのは筆者ではないので、実際問題本当なのかはわからない。でも自分はこう考えているということを書き散らかしたいと思う。

(『「ガンプラは自由だ」の本当の意味』から改題。2021.03.20)

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そもそも…

ガンプラを作る事はもちろんプラモデルを作る事の一部で、プラモデルを作る事は当然のごとく”造形”という行為の一部である。したがって創作という大きな行為の一部であって、”創作は自由”でなくてはならない。すなわち「ガンプラは自由だ」という事は至極当然のことである。

ではなぜ「ガンプラは自由だ」とわざわざ言わなくてはいけないのか?

プラモデルには「スケールモデル」という考え方がある。スケール感重視、つまり”〇〇分の1の本物感”を出すことが重要というジャンルだ。このジャンルが大きく幅を利かせてた時代がある。

それはそれで非常に良いことではあるが、一部の心ないモデラーたちが絶対論的な空気を醸し出し”息苦しさを感じる”モデラーたちもいた。また初心者には敷居が高かった。

そんなことからガンプラに手を出すモデラーが出てきたことや、キャクター性から初心者が入りやすいのも手伝って、ガンプラ文化が花開くことになっていった側面がある。

そんなこともあり「ガンプラなんて作っているやつは…」とか「合わせ目消しも出来ないのか?」などおっしゃる方もいらっしゃった。

またキャラクター性が強いために原作ファンなどから「原作も見ずに作るなんて…」というご意見をおっしゃる方も登場していった。

原作を大切に思う気持ちは理解できなくはないが、「その方の作品に対する愛情と同じ愛情を持って接せよ」的な理屈を押し付けられても、プラモデルを作る方は困る方の方が多くなるのではないか?と思う。

そんなことから「ガンプラは自由だ」という言葉ができたのだろうと思う。

現在は…

残念ながら現在もその傾向は皆無にはなっていない。しかし、ここに来て新たな側面も出始めている。

ガンプラモデラーさんにもいろんなこだわりを持って制作される方が多くなり、作風は多様化している。もちろんそれは良いことである。多様な作風は色んな意味で発展をもたらす。

ただ、今度はちがう形が出始めた。

パチ組みが一番という考えはそれで良いと思うが、「ガンプラは自由なのだから、難しく考える必要はなく”考えるな感じろ”で組めば良い」という趣旨でこだわり派を批判し始める方がちらほら登場し始めてしまった。

これはこれで「合わせ目消しも出来ないのか?」「原作も見ずに作るなんて…」と同じことだ。

ただ、こういう方の中には「気楽に組みたいから」を言い訳にして”腕を上げることを放棄している”方も混ざっているようにも感じられるが…(;´∀`)

注:ご質問があったので同じ疑問を持つ方もいるかと思われるので解説する。(疑問のない方は飛ばしてください)

「ガンプラは自由なのだから、難しく考える必要はなく、”考えるな感じろ”で組む必要もない」「ガンプラは自由なのだから、難しく考えても、”考えるな感じろ”でも構わない」などが正解。

つまり「自由」は回答が複数存在する根拠であり「ガンプラは自由だ=こだわり抜く」も成り立つことから、「考えるな感じろ」を選択する根拠にはならない。「ガンプラは自由だ=考えるな感じろ(つまり「ガンプラは自由だ≠こだわり抜く」というイメージ付け)」にすり替えるミスリードと言える。悪く言えばナンパ師の「減るもんじゃないし…」と同じ理屈、と言えなくもない(笑)

なぜミスリードが成り立つのか?というと、「考えるな感じろ」という言葉の持つ力がなせる技で「考えるな感じろ→理屈抜き≒自由」という図式から「ガンプラは自由=考えるな感じろ」という勘違いと「難しく考える=理屈」という図式から「ガンプラは自由なのだから、難しく考える必要はなく”考えるな感じろ”で組めば良い」を「筋が通っている」と勘違いしてしまう。でも実際は「ガンプラは自由=回答が複数存在する」と「考えるな感じろ=理屈抜き」なので、この場合「全くの別物」である。

「ガンプラは自由なのだから、難しく考える必要はなく”考えるな感じろ”で組めば良い」を訳すと「ガンプラは回答が複数存在するのだから、理屈は必要なく理屈抜きで組めば良い。」になる。一見論理に見えるものが、回答の許容範囲内である以外の意味はなく、ただの回答であることがわかる。「馬から落ちて落馬した」と同じ等、国語のテストなら×になるほど余計な表現と不正確な表現が混在する回答にすぎないが、回答の一つとして間違っているとは言えない(日本語としては間違いだが…)ので余計に勘違いをさせることになる。

実は「ガンプラは自由」なので必要なものなどなにもない。全てが不必要と言えてしまう。すべて理屈で考えることも可能なので「考えるな感じろ」も不必要となる。このことから、そもそも「必要か不必要か」を論じてる事自体が根本的に間違いと言える。

つまり「ガンプラは自由なのだから、難しく考える必要はなく”考えるな感じろ”で組めば良い」のようなものは「詭弁」と言え、「こだわり派に対する批判と自分の主張を正当化するミスリードが目的」と受け取られても仕方ない。

ガンプラは自由なのだから必要と言えるものは何もなく、”考えるな感じろ”で組んで良いのです。

(2020/06/02追記を改稿)

最初に戻ろう…

「創作は自由」でなくてはならない。いかなる政治的な圧力も介在させてはならない。そして「自由とは無法・無責任であってはならない」。

「ラフに作る自由」「こだわりを持って作る自由」作り方なんて人それぞれ。その自由を取り上げる権利は誰にもないのだ。

他人の自由より、もっと”自分の作品に興味を持つべき”だと筆者は思うのだが、いかがなものだろうか?

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